マグダラのマリアはイエスの弟子の一人。
イエスの処刑を見守り、復活したイエスを最初に見た人物です。
しばしばマグダラのマリアは娼婦だったと思われています。イエスと出会ったのち自らの生き方を後悔し、イエスに付き従うようになったと考えられているんですね。
しかしこれは、教皇グレゴリウス1世によって娼婦とされたことが原因のひとつ。
聖書にはマグダラのマリアが娼婦であったとする表現はありません。
「イエス・キリストの生涯」(Jesus: His Life)のエピソードと解説です。7つめのエピソードは、マグダラのマリア。
マグダラのマリアについてとイエスの磔刑、復活まで書いています。
きねちゃん
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マグダラのマリアはどんな人物なのか
聖書からわかっていること
- 7つの悪霊に取りつかれていてイエスに追い出してもらった
- マグダレナと呼ばれるマリア
- 自分の持ち物を出し合って
- 一行に奉仕していた
- ガリラヤから付き従ってきた
イエスに出会う前、マグダラのマリアは苦しんでいました。聖書によると癒しを求めるマリアの元にイエスが訪れ、悪霊を追い出します。
症状は現代でいうと、統合失調症か双極性障害、またはPTSDだったのかもという番組内の専門家のコメント。
「マグダレナと呼ばれるマリア」は、マグダラ出身のマリアという意味。ガリラヤのマグダラという町の出身です。
当時、女性の名前は父や夫の名前で呼ばれるのが普通で、町の「マグダラ」で呼ばれるのはめずらしいとのこと。未婚だったか夫に先立たれたか、マグダラの有力者だったのかもしれないそうです。
なぜ「娼婦」とされたのか
マグダラのマリアは「罪深い女」と言われてきました。
そのもとになったのはルカの福音書の次のような記述です。
- 罪の女がいて
- 香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて
- 涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った
女性が香油をイエスに乗るエピソードは、他の福音書にも登場します。
ヨハネの福音書では、ベタニアのマリアが十字架にかかるイエスの葬りの備えに香油を塗り、「高価なものだ」とユダに咎められます。
(関連記事:裏切りのユダ)
イエス・キリストの生涯⑤ユダ裏切りの理由~私は裏切った~
591年、教皇グレゴリウス1世が「罪の女」「ベタニアのマリア」「マグダラのマリア」を同一人物とします。これがマグダラのマリアを娼婦と呼んだ一因となったわけです。
(テレビドラマ 「イエス・キリストの生涯」(Jesus: His Life)では、ベタニアのマリアとマグダラのマリアは別人物。両者とも娼婦ではありません。)
のちの1969年にカトリック教会は教皇パウロ6世が、マグダラのマリアを、ベタニアのマリア、罪深い女と関連づけることやめます。
しかしマグダラのマリアと娼婦との関連付けをカトリック教会が外したとはいえ、一般的にはマグダラのマリア=罪深い女のイメージが強いのでしょうか。
例えば次のミュージカル作品では、教皇グレゴリウス1世の説をとっています。
ミュージカル「JCS」「TdV」のマグダラのマリア
ジーザス・クライスト・スーパースター(JCS)に登場するマグダラのマリアは、ユダの歌で「その女の職業に文句があるわけじゃない」「その新品の香油は高いらしい、貧しい者にとっておくべきじゃないか。お前の足や髪を癒すことより大事なんじゃないか」と歌われるように、
職業(=罪深い女)、香油を使って足や髪を癒す(=ベタニアのマリア)が、グレゴリウス一世と同じくマグダラのマリアと同一人物という扱いです。
ダンス・オブ・ヴァンパイア(TdV)に登場する女中のマグダは、マグダラのマリアが由来ですが、宿に到着したプロフェッサーの足をお湯で温める行為は、イエスの足を香油と涙で洗った罪深い女とベタニアのマリアと同じものです。
ちなみに不倫相手の宿屋の主人の復活ーヴァンパイアに襲われた人物が復活した目撃者第一号というのは、イエス復活の最初の目撃者マグダラのマリアと同じ設定と言えます。
イエスとマリアは結婚していたのか
1982年に英国で刊行の「レンヌ=ル=シャトーの謎: イエスの血脈と聖杯伝説(Holy Blood, Holy Gail )」で、イエスとマグダラのマリアが結婚し、子供を設けたという仮説を出しました。
レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス)
本が発表されたのち、キリスト教社会では大センセーションとなり、関連番組に圧力がかけられたとか。
「レンヌ=ル=シャトーの謎」の論拠をもとに書かれた「ダ・ヴィンチ・コード」も、バチカンからカトリック教義に反するものと公的に批判を受けています。
イエス以前、ユダヤ教では女性の弟子がいた形跡はありません。女性の弟子がいたイエスは誰でも受け入れていたことがわかりますが、きわめて異例でもあることから、「イエスとマリアは師弟以上の関係なのでは」と議論が続いてきたそうです。
聖書には2人の結婚を裏付ける証拠は一切ないのですが、妻にしても娼婦にしても、イエスの男性弟子と比べると、ある種の役割を押しつけらえているような気もしますね????
イエスの十字架刑
ここから「イエス・キリストの生涯」のエピソード7です。
十字架を背負うイエス
ユダヤ教神殿に対する批判的な言動、自らを神の子と称した罪で、イエスは死刑を宣告されます。
ユダの裏切りで、ゲツセマネで捕らえられたイエスを、マグダラのマリアは探しに行きます。しかし男性弟子は「危険だ」と動きません。
イエスの受難物語では、女性の弟子の活躍が目立ちます。男性弟子は民衆を扇動した革命家のイエスと同じグループとわかってしまうので怖気づいてしまったとのこと。
マリアは、イエスを目にします。イエスは鞭打ちされボロボロになった身で十字架を運んでいました。
十字架の重さは推定45~136キロ。ひどいケガを負った人間一人が運ぶにはあまりにも過酷です。
イエスの姿をみるのはマリアにとって辛いことだったでしょう。
イエスが力尽きたため、ローマ兵がたまたまそこにいた北アフリカキレネ出身のシモンに命令し、シモンは十字架を運ぶのを手伝います。
息絶え絶えのイエスに向かってマリアは「私たちがいます」と伝えます。
イエスは「エルサレムの娘たちよ 私のために泣くな。むしろ自分と自分の子供たちのために泣け」と言います。
群衆にまじり、イエスが十字架を運ぶ姿をみていたのが、ユダヤの有力者アリマタヤのヨセフとニコデモでした。
イエスに死刑をもとめたユダヤ人の名士で最高法院(サンヘドリン)の議員です。
2人はイエスの処刑に反対でしたが、カイアファのプレッシャーに負け、死刑に賛成してしまったのでした。2人は責任を感じていたのかもしれません。
ゴルゴダ~イエスの磔刑
イエスはゴルゴダに到着。エルサレム城壁外の罪人がはりつけにされるところです。
十字架刑はペルシャ人の発明。ローマ帝国の十字架刑は政治犯にも用いられました。周りへの見せしめになる刑です。
ヨハネ福音書によれば、ゴルゴダにはイエスの母マリアが来ています。
処刑されるイエスの近くにいたのは母マリアとマグダラのマリア含めた女性の弟子、男性の弟子はヨハネだけでした。
イエスの頭上に札が掲げられます。
「ナザレのイエス ユダヤ人の王」とギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語で書かれていました。
イエス処刑の宣告をしたユダヤ総督のピラトの嘲りだそうです。「これがお前たちユダヤ人の王?」「ローマ式に磔されているぞ」
ピラトはイエスだけでなくユダヤ人全体を嘲り笑っているのでしょう。
イエス・キリストの生涯⑥総督ピラト死刑の宣告~私は宣告した~
手首に釘を打たれ磔にされるイエスを見守るマグダラのマリア。
泣き崩れないよう、屈しないよう、こぶしを握るマリアからは力強い意志を感じます。
死にゆくイエスに罵声を浴びせるものもいました。屈辱を与えるために当時は普通のことだったようです。辱めを受けると本人の評判も家族の評判も二度と回復できないものでした。
しかしイエスは「父よ 彼らにお赦しを 自分の行動をわからずにいる」と言います。
イエスの言う「彼ら」の中には、処刑宣告をしたピラト、イエスを裏切った友人のユダ、イエスを攻撃した宗教指導者たち、自分を痛めつけ殺す人々が含まれていました。それらの人々をイエスは赦すのです。
福音書によれば、昼の12時ごろ突如真っ暗になります。人類史上最も暗い瞬間でした。
人々は神の裁きの表れだと考えます。
「我が神 我が神 なぜ私をお見捨てになったのですか」(エロイ エロイ レマ サバクタニ)
イエスが叫びます。この叫びは、信仰心を失ったようにも聞こえます。
「イエス・キリストの生涯」の今回のエピソードでは”神を信じているから出てくる言葉”というような意味で説明がありました。
きねちゃん
「成し遂げられた」そう言ってイエスは死を迎えます。
イエスの死を見届けたマグダラのマリアは絶望します。希望はもうないと。
イエスの死は福音書によれば午後3時頃です。日没は午後5時頃でした。
そこへ、アリマタヤのヨセフとニコデモがやってきます。安息日の前に遺体を降ろしたいと。
ユダヤ人は安息日に働けないので、日暮れ前に遺体を降ろす必要がありました。
アリマタヤのヨセフとニコデモは、イエスの母マリアに「ご子息をきちんと埋葬したい」と言い、マリアは感謝を伝えます。
福音書ではアリマタヤのヨセフが十字架から遺体を降ろしますが、母マリアがイエスを抱くイメージが広がりました。
イエスの遺体を膝に抱いて嘆き悲しむ聖母マリアを表す彫刻や絵をピエタと呼びます。ピエタはイタリア語で、「嘆き」「哀れみ」「慈悲」という意味。
裕福なアリマタヤのヨセフは、イエスに自分の墓を差し出します。場所はゴルゴダから近い場所でした。
遺体を清め、家族らが遺体を埋葬布で丁寧に包みます。
アリマタヤのヨセフが用意した亜麻布でイエスが包まれました。
このイエスを包んだとされる亜麻布は、聖骸布と呼ばれ、トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されています。
イエスの復活を目撃
安息日が空け、日曜の朝、マグラダのマリアは墓へ急ぎます。
イエスの遺体に香油を塗りお別れをするためです。
墓に向かったマリアは墓が開いているのに気づきます。中に入るとイエスの遺体が亡くなっていました。
愛する人が苦痛のうちに亡くなっただけでなく、遺体までなくなってしまった…
ショックを受けたマリアは他の弟子を呼びに行き、ペテロとヨハネが一緒に墓に向かいます。
彼らが目にしたのは遺体を包んでいた布だけでした。
墓荒しまたはイエス処刑を望んだ人たちの仕業か。「ここは危ない」とペテロとヨハネは帰り、マリアだけ残ります。
マリアが泣いていると後ろから声をかけられました。
そこには神の使いの天使が2人。
しかしマリアは落ち込んだままでした。墓から出ると別の声が聞こえます。
「婦人よ なぜ泣く?」
マリアは誰の声かわからず、主を置いた場所を教えてくれと言います。
マリアは声の方へ眼を向け、イエスが復活したと理解します。
イエス「兄弟に伝えなさい。私は昇る。私の父であり あなた方の父である方の元へ」
喜んだマリアはイエスの復活を伝えるため喜びに沸き、弟子たちの元へ走ります。
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今回のエピソードで、イエズス会神父のジェームズ・マーティン氏が、次のようにおっしゃっていました。
マリアが復活したキリストに出会ってから復活の知らせを弟子たちに告げるまで、「マリアが地上の教会」だった。
とても美しい表現で、マグダラのマリアがキリスト教においてとても重要な存在だとわかります。
マリアは復活したイエスをみた最初の証人。
イエスを愛しイエスからも愛され信頼された弟子であることは間違いありません。
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