「イエス・キリストの生涯」(Jesus: His Life)のエピソードと簡単な解説です。3つめのエピソードは、イエスの母、聖母マリア。
マリアは多くを語りません。しかしイエスを「神の子」と納得しつつも、母として息子を心配する気持ちもあり、マリアの葛藤が伝わってくる回でした。
上の絵は、クエンティン・マセイス/聖母子。
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特別な子イエス
マリアはヨセフと婚約し、結婚前に身ごもります。
ルカの福音書によれば、大天使ガブリエルから受胎告知を受け、胎内に神の子を宿したと知ります。
聖書にはイエスの誕生以降、イエスの子供時代のエピソードが1つしか載っていないそうです。
福音書によれば、イエス(メシア)の誕生を知った残虐なヘロデ大王は、自分の地位を脅かす存在として、イエスを抹殺するためベツレヘムの幼児大虐殺を行います。
ヘロデ大王やローマ帝国の脅威から逃れるため、マリアとヨセフはイエスを連れてエジプトへ。
アンソニー・ヴァン・ダイク/エジプト逃避途上の休息
ヘロデ大王の死後、聖家族はガリラヤへ戻りナザレに住みます。
そしてイエス12歳の時、彼らは過越祭のためにエルサレムを訪れます。
過越祭とは、出エジプトを祝うユダヤ教のお祭りのこと。
エジプトで奴隷として苦しんでいたイスラエル(=ユダヤ)の民を、モーセが引き連れ脱出したことを祝うもので、旧約聖書の出エジプト記に記されています。
デイヴィッド・ロバーツ/エジプトからのユダヤ人の脱出
過越祭はローマ帝国全土からユダヤ人がエルサレムへ来るので、大混乱に陥り、その最中、マリアとヨセフはイエスを見失ってしまいます。
探し回ること数日、エルサレムの神殿(=神の家)で、彼らはようやくイエスを見つけました。
イエスは律法学者に囲まれ熱く議論をしています。
なぜ消えたのか、探し回ったではないか、と伝える両親に対し、イエスは「なぜ探し回ったの?」と逆に問います。
「父の家にいるのは当たり前」と。
イエスの子供時代のエピソードは聖書でこれのみ。
ほかの子とは違い、神の子だとわかるエピソードです。
イエスの兄弟姉妹
正確な時期は不明ですが、のちにイエスの養父ヨセフが亡くなります。キリストが公生涯を始める前と考えられているようです。
イエスには兄弟姉妹がいました。
・マリアとヨセフの子なのか
・ヨセフの連れ子なのか
(カトリックではマリアは永遠の処女)
関係はよく分かっていません。
ただイエスは長男であり、通常であれば家長としての役割を期待される存在です。
しかし神の使命のあったイエスは家を発ちます。
家族を養う仕事を他の兄弟にまかせていたので、兄弟とは確執があったかもしれません。
特に家族を託された弟ヤコブは恨みに思っていた可能性があります。
母マリアはイエスが神に遣わされた子と信じ、イエスを見送ります。
カナの婚礼
ヘラルト・ダーフィット/カナの婚礼
時が過ぎ、イエスがマリアのもとへ弟子と伴に訪れます。
そこはナザレから遠くない村のカナで、マリアと親しい新郎新婦が婚礼を挙げていました。
カナの婚礼も絵画のテーマで有名ですね。
イエスが行う最初の奇跡として、ヨハネの福音書に記されています。
マリアが久しぶりにみるイエスは、聖霊から祝福され、サタンの誘惑に打ち勝ち、以前とは違っていました。
婚礼の祝いの席で、ぶどう酒が切れてしまいます。
ぶどう酒が切れるのは家族の恥であり、お祝いの席が台無しです。
そこでマリアは「ぶどう酒が足りない」とイエスに言います。
なんとかしてよ、という気持ちが込められた言葉です。
それに対するイエスの返しは痛烈で、
「婦人よ、私に何のかかわりがある?」と答えます。
マリアを母と呼ばずに「婦人」と呼ぶのは、イエスは地上の母ではなく、天の父の権威で行動するからです。
「私の時はまだ」と、奇跡を行うのをためらうイエスですが、マリアはイエスを促します。
そこでイエスは、召使に水ガメに水でいっぱい満たすよう命じ祈ります。
召使がそれを汲んで世話係のところへ持っていくと、水はぶどう酒に変っていました。
バルトロ・メ・ムリーリョ/カナの婚礼
イエスは奇跡を起こすのはまだ早いと考えていましたが、マリアが「みんなが待っている」と促し、イエスはみなの前でメシアであると証明したのです。
これによりイエスは使命に生き始めます。
故郷の人々の反感
イエスはナザレで行動を開始。会堂で話を始めます。
メシアの到来を望む信心深い人たちが集まりました。
イエスはそこで、自分が待望のメシアだと言い始めます。
しかしこれはユダヤの律法学者から神への冒涜と捕らえられました。
ユダヤ人にとってメシアはダビデ王のような伝説の人で、自分の近く、そこら辺で育った子供がメシアだとは信じがたい話でした。
会場内は混乱に陥り、イエスを崖の上から突き落とそうとします。
それでもイエスは屈しません。
死ぬ一歩手前、人々の前から立ち去ります。
人々の拒絶はイエスにとって予期していたことでした。
預言者は故郷では歓迎されないのです。
マリアはイエスを心配し、隣人たちの反応に怒りを覚えます。
しかしメシアを自称するイエスは、ローマ帝国から目を付けられる危険があり、その危険はイエスだけでなくナザレの村全体に及ぶ恐れもありました。
この時代の権力者は、自分自身の権威を脅かすものを徹底的に排除していたからです。
イエスを理解できない兄弟
イエスはナザレを後にしカファルナウム(カペナウム)へ移動。
カファルナウムはダマスカス~エジプトへ通る道で、様々な人々の交流がありました。
ここで活動すればより多くの人に影響を与えると思えたからです。
イエスは悪霊にとりつかれた人や皮膚病に悩む人など、社会の底辺にいた人やローマ帝国に切り捨てられた弱者に奇跡を施し熱心に宣教します。
病人を癒し説教をするイエスのうわさは広まり、マリアやイエスの兄弟の耳にも届いていました。
活動が大きくなればなるほどローマ帝国にみつかる可能性があり、家族への危険が及ぶと、弟のヤコブはイエスを受け入れようとしません。
兄弟はイエスに問います。
「家族に迷惑をかけても平気なのか?」
強大なローマ帝国は残虐で、ユダヤ人指導者たちも自分たちの地位を脅かされれば黙ってはいないでしょう。
イエスの真意は兄弟に伝わりませんでしたが、イエスの使命を知るマリアはイエスを支えます。
神の子の母
フランチェスコ・フランチア/薔薇園の聖母
ある日、マリアの元へイエスの弟子アンデレが訪れます。
アンデレは洗礼者ヨハネの弟子でしたが、のちにイエスの弟子になります。
嫌な予感がするマリア。
アンデレは、カファルナウムの会堂で手に負えない事態が起きた、と言いました。
イエスが安息日に人を癒したため、ファリサイ派の人は律法に背く行為だと非難したのです。
安息日は「なにもしてはならない」と定められた日。
信仰の番人と自負するユダヤ教内のファリサイ派にとって、イエスの行為は見逃せないものでした。
マリアとイエスの弟ヤコブはイエスの元へと急ぎます。
マリアはイエスの使命を知っていましたが、母として息子が危険な目にあうことは避けたい。
イエスと話すため、数日かけてカファルナウムを訪れます。
そこではイエスの奇跡をみるため、多くの人が集まっていました。
悪霊に取りつかれ目と口が使えない人がイエスのもとへ連れられてきます。
イエスは安息日に悪霊を払うのか?
注目が集まる中、イエスは群衆の前で悪霊を追い出し男性を癒します。
回復した男性をみて人々はイエスをダビデの子、メシアと称賛。
ファリサイ派は面白くないので、イエスを悪魔ベルゼブブの仲間だから悪霊を追い出せたと主張します。
マリアはイエスを心配しますが、恐れず反論するイエスをみて、イエスがどんな犠牲を払っても運命を全うするとマリアは納得。
きねちゃん
イエスは弟子のペテロから母上と兄弟が来ていると聞かされますが、イエスは
「私の母と兄弟とは何か」
「私の母と兄弟は、天の父とみこころを行う人」
と答えます。
伝統的な家族の絆はどうでも良いとイエスは考えていました。
マリアは傷ついたはず。しかし同時にイエスが他のことは違うとわかっていました。
理解できないヤコブに、いずれ理解できると伝えるマリア。
(ヤコブは復活したイエスに出会ったのち変わり、教会の指導者になります。)
フラ・フィリッポ・リッピ/聖母子
使命を全うするイエスを見守ると同時に、子供の身を案じる母としての気持もあったマリア。
イエスを手放さなければいけないと理解しても、心では考えもつかないほどの葛藤があったに違いありません。
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