2018年観劇納めはやっぱりノートルダムの鐘♪
思えば2018年1月の観劇始めは 東急シアターオーブで北米オリジナルキャストのカジモド役:マイケル・アーデンさんのout thereを聴き、4月から8月は横浜のKAATへこの作品を観に通ったのでした。
名古屋はそんなに頻繁に通える距離ではないので、11月に金本泰潤さんカジモドを観に一度名古屋へ突発。その後の観劇が今回の29日30日の2日間3公演、まとめての観劇でした。
キャストさんたち
12/29マチネ あっきーカジ
12/29ソワレ たつカジ
12/30マチネ あっきーカジ
今さらだけど、川口竜也さんフロローがすごく良い
今回、特に記憶に残った川口フロローについて。
横浜公演から登場した川口竜也さん。公演を重ねるに連れ、フロローの弱さや狂気が増していき、私は、他のフロローだと主にカジモド目線でこの舞台を観るのに、川口フロローの場合は、この人物を形成した幼少期のトラウマとか、作品には出てこない背景をこちらが勝手に考えてしまい、時にはカジモドをしのいでしまうほど濃いキャラクターだと思えました。
それは素敵なことだけれど、個人的な好みをいえば、カジモドに寄り添った目線でノートルダムの鐘を観たいので、私には川口フロローはちょっと濃すぎるとも思ってました。(もちろん素晴らしいフロローの一人です。)
なので、すでに取っていた今回のチケット...3連続川口フロローを観るのは、わたしには重すぎるんじゃないか、受け止められるか...?
と思ったのが、月曜のキャスト確定直後でした。
でも、すごいよかった。全部川口フロローで良かった、と公演を見終わった直後,
素直に思いました。
横浜と同じくフロロー存在感がカジモド以上だと思ったけど、それでも川口フロローで観れてよかった。
そう思えたのは、原作のフロローを突き詰めれば川口フロローになるのかなと思えたこと。
個人的にフロローのイメージとしては野中フロローが原作に近いと思っているのだけれど、フロローの成れの果てを表現するのに、川口フロローはものすごい説得感がある気がします。
前にもどこかに書いたけど、兄のクロード・フロローは、弟のジェアンの親代わりにでもあったと思う。
川口フロローは今のところ全フロローの中でもジェアンに愛情たっぷりの兄さんで、ジェアンのためだけに生きている人だと思いました。
弟を守りながら自分自身も生きていかなければいけない。そんな彼は、教会が与えてくれる安心と安全に本当に救われたはず。
だから、ジェアンがフロローに反抗して、「安心?これを安心と呼ぶのか?これが安全なのか?それなら兄さんに譲るよ。」
といったとき、今回、始めてジェアンにムカつきました(笑)
ジェアンの立場であれば、ジプシーを自堕落な人々と偏見の目で見ている教会は決して安心でも安全な場所でもないのですが、兄のフロローからすれば、ようやく見つけた幼い弟と自分を守ってくれている大切な場所だから。
この兄弟のすれ違いが、のちのちの悲劇を生んでしまう。
今回、観劇1日目のマチネで、ジェアンが亡くなったあと、カジモドを思わず殺めてしまいそうになるとき、川口フロローの右目から涙が流れていました。
ジェアンを守りきれなかった悔いと、(フロローが考える)ジェアンが犯した罪=カジモドを背負うことになってしまったという恐怖。
あと、横浜公演同様、怖いフロローだったけれど、横浜ではDVのように感じたのが今回は違っていました。
イチゴを食べるカジモドをみて、フロローも嬉しそうにふふって微笑むようになり、カジモドに教える時も、怖いんだけど、物覚えのないカジモドについイラッとしてるだけで きちんとできると嬉しそうにしてるし、可愛がって大切にしているのがわかりました。
醜く身体の不自由なカジモドを抱えて大変だったけれど、幸せに暮らしていたと思う。
そこへエスメラルダが現れて全て崩れてしまう。
川口フロローは、自分を救ってくれた教会の教えこそ全てで、ジプシー女に欲望を持つ自分なんて受け入れられなかったし、エスメにそれを指摘されたことで、自分が悪いのではなく、自分を惑わすエスメラルダこそ悪だと、信じようとしたんだと思う。
エスメ=悪と信じた、というよりもエスメ=悪と信じようとした。
こう思ったのは、アンサンブルさんやクワイヤさんが「エスメラルダ・・・エスメラルダ・・・」ささやくシーンで、川口さんは右手を右耳にあてて、背中を丸め怯えながら歩くことで、フロローが幻聴に惑わされているようにみえ、その幻聴に導かれるようにら酒場(ラ・ポンテ)へやってきたこと。
地獄の炎の登場シーンでも同様のポーズをとっていたこと。(このポーズは横浜ではなかった)
このポーズにフロローの葛藤が強く表れていたと思います。
そして地獄の炎で、途中からエスメラルダに惑わされている自分を許容した。
今回観た川口フロローは、今現在行ってる芝居と、その前後のお芝居で、舞台では出てこない部分のストーリー(繋がり)が感じられました。
例えば、傷ついたフィーバスを匿い、エスメラルダの居場所を知っているのに知らないと嘘をつくカジモドを、笑顔で余裕たっぷり追い詰めるようになり、この笑顔が、フロローがなにもかもお見通しにみえ、この後の展開がより気になるようになりました。
横浜同様、地獄の炎が川口フロローの転換期(信心深い大助祭→狂人)なのは同じなのだけれど、狂う前はより人間の弱さが感じられ、その後はより恐怖感が増したと思います。でもその怖さは、突然激昂して怖くなるのではなく、フロローなりの理由が伝わるようになっていました。
フィナーレの、
弟を愛していた
弟を導こうとした
お前(カジモド)と同じように
だがあいつは邪悪だった
弱かった
ここの「邪悪だった」でふとカジモドの顔をみたのち、後ろにぱっと飛びずさるのも名古屋で初めてみました。
カジモドにジェアンの面影を感じたように。そして、カジモドの「悪人は罰を受ける」→ジェアンの亡霊「悪人は罰を受ける」、フロリカの亡霊「邪悪な心は災い」とつながり、カジモドだけでなくジェアンとフロリカの亡霊にも殺されたように思えたし、もしかしたら作品の意図もそうであったのかもしれないと思いました。
横浜公演から川口フロローはもしかしたらこの方向なのかもしれなけれど、名古屋で3回連続川口フロローでみてみると、この作品がより厚みをもってみえると感じました。
そして今回の川口フロローで1番感動したのがヘルファイアー。
横浜より断然いいです。
もともと美声で歌の上手な方ですが、低音がより響いて厚みがでて、
以前よりはっきりリズムをとっているように感じました。三公演とも同じ素晴らしいクオリティで、鳥肌ものでした。
たつかじ&あっきーかじ
その他、簡単にレポを
陽ざしの中へbyたつカジ
ゆめ~がかなうなら~
一日だけでいい~
この時点で、外の楽しい世界を想像して、嬉しくなってるたつカジモド。子供らしくワクワクしている気持ちがまっすぐ客席に伝わり、とても暖かいout thereでした。
達郎さんのカジモドは毎回、out thereで幸せな気持ちになれる。
天国の光byあっきーカジ
エスメラルダへの恋心を歌うこの曲。
ニコニコ歌い始めるカジモドが多いと記憶していましたが、30日のあっきーカジの歌い始めは、なんとなく怪訝な顔のまま歌い始めました。
自分に起こったことが不思議そうな。
以前から思っていることだけど、あっきーカジ自分にそう簡単に幸せがくるとは思っていない大人っぽいカジモド、というのが私の印象です。
だからこのシーンも、エスメラルダが優しくしてくれて、わー嬉しい...というよりも、自分の気持ちを確認するような感じで歌い始めているとおもいました。
そんな淡々とすすむ「天国の光」が、「でも...天使が微笑みかけて...」から天国の光が徐々に満ちていくように、表情が明るくなっていく。
このシーン本当に光が差し込んだように思えました。
途中、階段をたち、暗闇を生きてきたカジモドに光のスポットライトがあたるようで、とても美しいシーンでした。
ちなみに、天国の光ではける直前シーンで、前回の名古屋公演は、カジモドか立ち上がっていたのに、今回3公演ともなし。これは横浜のときのように戻ったのかな?
茜エスメラルダ
横浜公演のラスト近くで出演され、当時見たときは、頑固で強いエスメラルダというイメージでしたが、前より柔らかくなったと思いました。
以前より伸びやかで、身長が高い分、動きがダイナミックで華があります。
タンバリンのリズムの美しさには特に圧倒されました。
あと、カジモドと一緒にいるときの茜さんエスメラルダは肩の荷を下ろした自然体の女の子に見えました。
何度も迫害されてきた下の世界で、
自分の身を守るためにつけていた鎧を外して
エスメラルダにとっても、おそらく初めてみつけた 安心な場所。
大聖堂は、フロローにとってもカジモドにとっても、そしてエスメラルダにとっても安心な場所なんだなぁと。
その他、あれ?と思ったのが、次の点。
・「2人は育つ鐘を聞きながら~」のところで、今までジェアンは左手で耳をふさぐしぐさをしていたのに、今回、手島ジェアンでは一度もこのしぐさがなかった。
・ラストの「答えて欲しい謎がある~」のところ、ピアニシモというか、ぐっとボリューム小さく歌うようになってた。
ここは名古屋から変更になったのかしら?気になる(^^;
3連続ノートルダムの鐘をみて、正直言うとまだまだ見足りない。気になるところが増えてまたすぐに観たいです(笑
横浜で上演していた時、週1回ペースの観劇だと、毎回感動にびっくりで、観察する余裕がないから、できれば10回くらい連続したいw